昭和60年12月20日指定
高さ101㎝、口径75.4㎝の銅鐘は1717(享保2)年江戸神田の鋳工師 小沼播磨守藤原長政の作で、わが国の金工史・美術史上貴重な作品です。
この銅鐘は、いわき市勿来の松山寺の鐘楼にありましたが、1886(明治19)年久保田に留まったと伝えられ、追刻銘文によると、その後1888(明治21)年阿弥陀寺の銅鐘になったとあります。
鋳工師 藤原長政は1712(正徳2)年江戸南町の西応寺、1718(享保3)年江戸駒込の光源寺の銅鐘を鋳造した記録があります。長政の作品は関東一円、主に江戸に多く所在していたといわれますが、関東大震災や太平洋戦争のための供出などで、遺品は余り残されていません。
この銅鐘も太平洋戦争のために供出されようとしましたが、重要美術品としての価値が高いとして、供出を免れたといういきさつがあります。
【郡山市教育委員会】